代表取締役CEO
大西 みつる
Career
1961年
大阪府泉大津市生まれ。大西家の長男として生まれる。天秤座のA型。幼少期は病弱で家で遊ぶことが多かった。小学3年生で野球と出会い、その後の人生が一変する。
1977年
大阪府立高石高校を3学期で退学し、改めて大阪商業大学付属高校を受験、入学。中学野球時代の同期からの「一緒に野球をやろうよ!」という言葉がきっかけとなり、再度、高校受験を経て、硬式野球部に入部。高校野球人生がはじまった。
1979年
立命館大学経済学部に入学。硬式野球部に入部。大学生活は、好きな野球一辺倒で過ごす。俊足を買われ、2回生の春季リーグ戦から代走役でベンチ入り。しかし、ウエイトトレーニング中(ベンチプレス)に大けがを負い、約2か月入院。当時の彼女の「大西君の野球している姿がみたい」という一言に励まされ、過酷なリハビリを乗り越える。その後は順調に回復し、同年の秋季リーグ戦の途中から試合に復帰。
1985年
本田技研工業株式会社鈴鹿製作所に入社。第三工場完成車品質に配属。硬式野球部に入部し、その後13年間、社会人野球人生を歩む。都市対抗野球というアマチュア野球の最高峰の試合を経験。引退後は、チームマネージャー、戦略マネージャー(19何年都市対抗野球大会優勝)、監督を経験。
1994年
第65回都市対抗野球大会優勝。会社がF1撤退、減収減益の緊急利益対応を求められた中で、優勝を経験。
1997年
株式会社本田技術研究所朝霞研究所総務課研修厚生グループリーダーとして、人事の仕事に従事。赴任後、突然のタイ、シンガポールへの出張など、ホンダのビジネスの原体験を積む。
1999年
筑波大学大学院ビジネス科学研究科を受験し合格ビジネスで貢献するには学び直しが必要と強く思い、働きながら通える社会人大学院へ。ビジネスマンと学生の二刀流生活を送り、経営学修士(MBA)となった。
2001年
本社人事部人材開発センター時代、人の活力を引き出すという「活き活きプロジェクト」を発足。そのプロジェクトのグローバル展開を任され、ホンダを退職するまでこのプロジェクトを日米で展開。また「ホンダのリーダーシップ開発」の企画から実行まで、ラーニングデザインを行う。
2004年
株式会社ヒューマンクエストを創業。
2005年
独自の自己開発法である「ビジネス×アスリート式トレーニング」を開発。世界的に有名なジョセフ・オコナ―のコーチング指導を受け、International Coaching Committee の認定コーチとなる。「スポーツ心理学」に基づく「メンタルトレーニングとコーチング」の技術を活かし、成果を求められるビジネスパーソンに向けたトレーニングを提供。外資系企業のエグゼクティブコーチングを通しコーチとしての経験を積む。
2013年
初めての著書となる『ビジネス×アスリート式・最高の自分のつくり方』を出版。
2019年
2冊目の著書となる「結果を出す人は修正力がすごい」を出版。三笠書房/東京丸の内の丸善にて週刊ランキング1位を獲得。立命館大学経営学部客員教授として、「戦略とマーケティング」の講義を担当。デザインと経営についての研究を行う。
2022年
3冊目の著書となる「はじめて部下をもった人の超リーダー力」を出版。ぱる出版/丸善(丸の内東京)、紀伊国屋書店(新宿本店)で週間ランキング1位を獲得
株式会社デザインリーダーシップを服部飛鳥氏と創業
デザインやアートへのこだわりは、幼少期の子役体験?
小学校低学年の頃のことで覚えているのが、親戚に声かけされて出演した広告やコマーシャルの子役。
OKができるまでああでもない、こうでもないと話し合い、CMをつくる大人の姿が印象的でした。
また、撮影の際にヘアセットやメイクをしてもらうのが不思議な体験でした。子役ながらに一つの役を演じ切るという自分の役割を感じながら、
創造したり、人と違うことを考えてみたりするクセから勝手に学んでいたように思います。
それらの体験から、ものをつくる、アートやデザインに興味をもちました。最近では、ネイルアートがかっこいいと感じています。
美大に行くか、大学体育会で野球をやるのか・・・。究極の選択?でした。
中性的な自分の存在。美術的なことをやりたいと親に話した時はこっぴどく叱られましたが。。。野球やらんかい!と。
男は男らしくたくましくあれの時代でもあったなあ・・と思います。
ピンチをチャンスに好転させてくれた 仲間たちの言葉
私は高1の時に高校をやめ、浪人をした経験があります。
野球がしたいという想いから高校受験をやり直しました。
私の「1年浪人してでも野球がしたい」という想いを後押ししてくれたのは、最初に入学した高校の同級生の言葉でした。
「思い切って野球をやったらいいよ。大西君ならきっとできるから。応援している。」という言葉でした。
大学の時、野球の練習中に大怪我をしました。
怪我からの復帰を支えてくれたのは、当時付き合っていた彼女の言葉です。「ユニフォームを着てグランドを走っている姿が一番似合っている。
これだけ大怪我したから後は良いことがおこる。山より大きなイノシシはいないので、大丈夫。」と、私の“ネガティブなことば”を、いつも”ポジティブなことば”に変換してくれました。その女性は今、彼女から奥さんへ・・・。
私がピンチをチャンスに変えてこれたのは、家族を含む仲間たちの「勇気の出る前向きな言葉かけ」でした。
私たちの職場は、前向きなトークが飛び交う職場です。言葉はチカラだと強く感じています。
野球というスポーツとホンダで培ったチャレンジング・スピリット
私の人生において、野球は切っても切り離すことができません。
スポーツは勝つか負けるかであり、上手くいくことよりも上手くいかないことの方が圧倒的に多い体験をします。
でもなぜ、野球を34才まで続けられたのか?と自問すると、「好きだから」という答えしか見当たりません。
社会人として私の礎を築いてくれたホンダという会社の文化は、ホンダが大切にする「夢の力」であり、人間尊重を掲げる個人
一人ひとりを学歴や肩書でみるのではなく、人が持つ無限の力を信じて疑わない哲学です。
挑戦することを楽しんでやる、人と違うことを認め合う。上司に喧嘩をうると「見込みがある奴だ!」と受け入れてくれる。
いつも投げかけられる質問は「どうしたいのか?」という言葉。
「挑戦する」という行動のハードルがめちゃくちゃ低い。
「上手くいかなくて当たり前じゃん。だって今までやってなかったことをやるんだから。今日の自分を越えろ。負けるもんか。」という考え方、
そして野球とそのホンダでの経験が、私の「まずやろう精神」「挑戦心」を育ててくれたと強く思います。
アメリカという場所で学んだ活き活き自主自立の想い<Spirited Independence>
ホンダ時代、アメリカに駐在をしていました。American Hondaは、コロラド州でイーグルロックスクールという高校を運営しています。
戦後の混乱の最中、アメリカはホンダを受け入れてくれました。ホンダの世界進出はアメリカから始まりました。
これは、創業者である本田宗一郎氏の「本業以外で社会に長く貢献したい」という思いから生まれました。
この全寮制の学校が受け入れるのは、既存の教育プログラムになじめなかった生徒や、高校卒業を断念した生徒、自分の人生を変えたいと強く望む生徒たち。ここでは学習する時間や場所に縛られることもありません。
授業内容は、まず自分が何者であるかを知り、どのような夢を持ち、そのために何を学びたいのかに焦点をあわせて個別に設計されます。
重要なのは、生徒一人ひとりが自分自身の力で、何を学び、どのように成長したかを記録し、表現し、証明していくこと。授業や共同生活を通じて、生徒たちは自ら夢を描き、努力することの大切さを学びます。
正義のためにリーダーシップを発揮する。
イーグルロックスクールに訪問しなかったら、デザインリーダーシップという会社の構想は浮かばなかったと強く思います。
日本の教育はどこかおかしいと私は思うのです。
徹底的に「個」を生きる。「個」を活かす。
私の夢はイーグルロックスクールのような自主自立の精神を育むという日本の昔でいうところの「塾」の運営なのかもしれません。
(仮) セルフリーダーシップで人生をデザイン。
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